意味と努力率
こんばんは!
私たちは物事の意味を深く考えたり、軽視したりしますよね。きっと自分の好きなことは深く考えたり、興味ないことには意味を考えません。
例えば好きな人から何気ないLINE来たとします。
好きな人にとっては、それこそ何気ないメッセージです。私たちにとっては好きな人からくるメッセージに意味を見出したくもなります。
今回は意味についてお話しします。
私たちは自分の努力したことに意味を見出します。見出しがちというのが正しい言い回しでしょうか。
努力したことを無駄と考えたくないのです。
努力というのは、必要な絶対量が存在します。
自分の感覚的限界と絶対量がイコールであれば、まだ良いです。
ただ自分の限界が絶対量を超えないときがあります。
ここが問題です。
自分は努力しているのに結果が出ないという現状へ陥ります。
結果が出ないときどうするか。
ここで意味づけを行います。
もちろん結果が出たとしても意味をつけます。
感覚的限界と物理的限界はイコールではありません。
案外想定以上に努力できるものです。
私は自分が努力できない人間だと思っていました。
努力できない人間だからこそ、できる人間には最大限の尊敬をします。
努力しているのに結果が出ないということは基本ありません。
それは単純に努力が足りないのです。
もっと頑張らねばならない
ただそれだけの話なのです。
頑張っているつもりの自分を慰めるために、頑張っていたことに意味をつけます。
意味づけは、自分のために行います。
最初の例で出した、好きな人からのメッセージも同じです。
今回私がお伝えしたいのは
自分のために意味づけをしていても
他方面からは意味がないこともある
ということです。
努力している人からすれば、努力していない人は評価することが難しいです。
努力足りていないのに努力していると勘違いする人がいます。これは努力していない人と結果が同じです。
結果が同じであれば、もっと頑張るしかありません。
ここでもっと頑張るか
それとも頑張ったことに意味をつけるかで大きく変わります。
実際にはもっと頑張るしかないのです。
ここで頑張ったことに意味をつけたら、そこで終わりです。
それ以上に実ることは不可能です。
んー何が言いたいのかわからなくなったな
今回はこれでおしまいにします。
また違う形でこの内容に触れます。