言葉遣い
こんにちは!ちゃんとした投稿は1週間ぶりですね。
のぶしんです。このくらいのペースが無理なく続きます。遅いですがお付き合いください。
先の記事にも書きましたが、私には弟がいます。二つ下の弟は、日本語が得意でないみたいです。得意だから必ずしも良いとは限りません。現に弟がうまく話せてもなと感じてしまいます。
なんというか、言葉とはある種の個性だと考えております。だからこう話さないといけない、というものは存在しないという意見です。
分かりやすいのが関西弁などのなまりや言葉です。方言は、一般に"正しい"される言葉と逸脱していることが多くあります。関西弁を話す人を関西の人なんだなと皆さん理解されます。それを否定することの方がどうかと思いますし、否定することに意味がありません。
前置きが長くなりました。今回は言葉についてお話しします。
先程、弟がうまく話せてもなとお伝えしました。弟がうまく話をすると違和感があります。
下手だからこそ面白い弟だと思いますし、饒舌な弟は私の弟ではないようにも思います。うまく話せないというのが、また弟の良さなのかと。
少し脱線しますが、皆さんは周りと同じことをします。出る杭は打たれると考え、出ないように講じるのでしょう。どんなことにも当てはまりますが、多くの人と違うことは特別扱いされます。それこそ良い意味でも悪い意味でも。
しかし、杭は全て同じ杭の方がいいのでしょうか?打たれることに恐れて周りと同じになっては、個性(ここではある種自分の良さのこと)が存在しなくなってしまいます。
全てが大量生産された杭では、上手くいかないからこともあると懸念します。
話を戻します。
もう一度言い直すと、言葉遣いは個性だと考えています。
言葉遣いからその人物がどのような人物かを推測することができます。
基本的にはあまり外れません。
実際は外れる方がおかしいと思います。
丁寧な人は丁寧な伝え方をしますし、雑な方は雑な伝え方をします。丁寧なのは正確に伝わりやすく良いと思いますし、雑なのは情報が少なくスピードが早いと思います。一長一短で、どちらでもいいのです。
ここでお伝えしたいのは、言葉遣いは個性なのです。
え?もう聞いたって?
自分がなりたい自分があると思います。言葉遣いをそれに近しくすることで、なりたい自分に自然と近づきます。なぜなら言葉遣いは個性だからです。
私は面白い人間になりたいと思っています。しかし、それと共に向いていないとも思っています。
もちろん向いていないからやらないというのは、どうかと思います。私は他にもなりたい自分がいるので、そちらを優先することに致しました。
しかし、まだ諦めていません!
これから記事が面白くなっていくかも、どうぞご覧ください。
ちなみに弟は面白いです。
どっちでもいいよと日常で使いますが、弟はどっちもいいよと返します。
どっちもいいよ(笑)可愛い弟です(笑)