クオリティ問題
こんばんは、のぶしんです。
今日はやる気に満ち溢れてるので二つ目です。
クオリティという言葉はみなさんお使いになりますか?
私は完成度と同義でよく使います。
完成度も同じ頻度で使いますが、何となく使い分けをしてたみたいです。
今考えてみると客観視したときに完成度
主観的な見方でクオリティと使ってた気がします。
特に意味はありませんし、それが常識ではありません。
自分の中で差別化してたというのを、今回はブログでみなさんに押し付けたいなと思います。
タイトルはクオリティの方がかっこいいなと思っただけなので、関係ありません。
問題についてお話ししていきます。
再三お伝えしてるとおり、陸上をやっております。素人に毛が生えたようなものですが、その中でクオリティを求めるときが多くあります。
足が速ければそれでいいのですが、練習中はそうもいきません。
動きが良ければ練習している意味がないのです。そう考えると意味のないもたくさんしてきました。
動きが良い方が足が速いんじゃないの?とお考えになるかもしれません。動き以外の条件が同じであれば、動きが良い方が足が速いです。その通りです。
だから速く走ればいいじゃん!
なんだかそういう訳ではないのです。
速く走ることは目的で、動きというのは無数の手段です。
いい動きを追い求めて、目的を見失ってしまってはダメです。手段が目的となってしまうケースですね。よくあります。
これは速く走ればいいという方のご指摘どおりです。
トレーニングの話になってしまうのですが、意識性の原則というものがあります。
これは私などよりも詳しいことをgoogleさんがお答えしてくれますので、「トレーニングの原理・原則」などでお調べください。
いい動きをしようとすることが、後々トレーニング効果として自分に返ってきます。
スピードを出すことよりも、スピードを試合やこれからに出すために動きを追い求めなければなりません。
これが練習の根幹となります。
前置きが長くなりましたが
自分のやりたい動きというものが存在します。
それをやっています。
やっていても中々できるものではありません。
みなさんも経験があるように、
サッカーでリフティングができなかったり
キャッチボールで意味不明な捕り方してみたり
クラウチングスタートでスタートラインのすぐ近くに足を置いてみたり
見た目ではわかるけど、やり方がわからない
そういうことにぶち当たります。
陸上だけでなく、全てのスポーツ、全てのトレーニングに置き換えられると思います。
自分のやりたい動きができても変えたくなります。また、他のトレーニングの影響で変わってしまったりもします。
クオリティと完成度とミスマッチが起きてしまうことがあります。
クオリティは高いけど完成度は低い。
クオリティは低いけど完成度は高い。
主観的にはいい動きでも、側から見ると良くなかったり
主観的にはしっくりこなくても、側から見るといい感じだったり
こういうことがあります。
ただ、著しくクオリティの高いときは完成度も高いです。逆にこれはミスマッチが起きづらいです。
話を戻すと、このクオリティと完成度のギャップは埋めていかなければいけません。
これは著しくクオリティが高いときも同じで、同じくらい完成度が高くなければいけません。
え、なんでギャップ作っちゃだめなの?
足が速ければそれでいいじゃん
とお考えになる方もいますよね。
まあ私も前まではそう考えておりました。
結果が全てだなと思っていましたし、今でもそう思います。
結果(試合)に拘るからこそ、プロセス(練習)のクオリティや完成度は必要です。
ギャップを埋めると、結果にもギャップが起きません。練習が式だとしたら、試合は答えです。式の中で誤差があれば、結果も誤差が生まれます。
この誤差を埋めることで試合で負けにくくなります。
勝ちうる回数や確率は変わりません。
ただ負ける回数がとことん減ります。
どういうことかと具体的に表すと
格下には負けません。
負ける要素を排除してるからです。
誤差があれば下方の誤差分だけ、格下に負ける可能性があります。
誤差がなければ付け入る隙は与えません。
結果にこだわり、結果が全てで勝ちに行くからこそ、必要だと感じていただけましたか?
これはたくさんの場面に置き換えられます。
会話もクオリティと完成度が高く、ギャップがなければ説得力も高くわかりやすくなります。
実は勉強でも置き換えられますし、スポーツ以外の文化系の活動にまで置き換えられます。
私の経験則ですが実力のある人はギャップがなかったり、小さいことがとても多いです。
やる気に満ち溢れるとたくさん書けますね。
楽しかったな。
今回はこれで終わりです。
ありがとうございました。