のぶまさ

keep pushing

かっこつけ解体新書

こんばんは、のぶしんです。

やる気が満ち溢れて爆発しそうなので、ここで抑えにきました。

本日3本目ということで、逆にやる気というのは怖いなと思います(笑)

 

かっこつけることを書きます。

 

かっこつけるとは、カッコいいと思われたいからするのだと推測します。

今回は見栄えをかっこつけとして話します。

 

さっきのエビフライもかっこつけを意識しました。

 

タイトルは人でいう見た目

本文は中身や性格

こう置き換えられると思います。

 

誰しもまずは人のことを見た目で判断します。

ブログ然り、YouTubeやニュースなどもそうでタイトルに惹かれなければ見ません。

本なんかは表紙で負けてしまったりもしますよね。

 

実際見てもらえなければ、何も始まりません。

恋愛も対象にならなければ土俵に立てませんし、中身を見てもらうまでが勝負だったりします。

私自身見た目褒められることは少ないです(中身も褒められたものではありませんが)。しかし、性格が良いとは言えなくても、自分に対して自信があります。自分がどんな人間か理解してもらうまでが大変です。理解さえしてもらえれば、仲良くなります。

理解してもらえるようにはあまり努力してないので、さながら受け身です。相手の力量に依存してます。

私と仲の良い人は素晴らしい人ばかりです。色眼鏡で見るような人とは仲良くなれないので、そういう意味では自信を持って交流のある人間を自慢できます。

 

こう見栄えを整えることで人に見てもらえるようになります。先程も書いたように何でも当てはまります。

見栄えが良くなければまず見てもらえません。

中身がどんなに良くても、それを見なければ良いかどうかの判断さえつきません。

 

人に見てもらうということは貴重な機会です。

眺めてもらうのとはまた違います。授業で他の人の発表ちゃんと聞いてましたか?

自分の番が回ってくるようなものは大して聞いてない人も多いでしょう。自分の番のことしか考えません。

 

見てもらう場というものは少ないです。

眺めてもらう場というものは溢れかえっていて、意味を成しません。

 

動画でいうと

無料(YouTube等)<定額(primevideo等)<購入

左のほうが眺めて、右のほうが見ます。

私の感覚では無料も定額も大差ありません。

 

眺めてもらうよりも見てもらう方が敷居が高いです。

 

映画館で観た映画は覚えていても、primeやYouTubeで観たものは覚えていないこともあるのではないですか?

 

映画では見てるので覚えられます。

眺めているものは中々覚えられません。

 

見てもらうことによって自分を主張できます。

反対に自分を主張したくなければ、眺めてもらえればいいのです。

 

見栄えというのは自分の求める自己主張により変えることが必要です。

 

ただ見栄えを整えれば良いわけではありません。中身よりも映えさせることは賢くありません。

 

見栄えというのは背伸びしないべきです。

 

『学問のススメ』という本があったとして、中身が「小学校と中学校は義務教育です。高校と大学は義務教育ではないけれど行きましょう。」程度のものだったらガッカリしますよね。

専門書などではたまにあるのですが、宣伝では誇張してたのに中身は既知のものばかりだったりします。

 

中身をそれ以外に見せてしまうのも見栄えです。

かっこつけすぎると中身がみすぼらしくなってしまいます。

 

もっとわかりやすく例えるなら

1.5ℓのペットボトルに500㎖のコーラが入ってるとします。

500㎖のペットボトルに500㎖のコーラが入ってるとします。

どちらも新品未開封です。

大きいから邪魔、小さいから運びやすいなどは排除してどちらを選びますか?

 

かっこつけすぎるというのは、こういうことです。

もちろん350㎖の容器には500㎖のコーラは入りません。

中身よりかっこつけないのも損をします。

 

私もそろそろ見栄えを気にしなければと思いながら何年も経ちました。

そろそろやらねば。

 

ありがとうございました。