のぶまさ

keep pushing

緊張

こんにちは!

緊張しいなひともいますよね?私はあまり緊張しません。緊張しても無駄かなと思うことが多くて、中々しません。

 

ただ私にも苦手なことがあって、それに対しては緊張します。

 

今回は緊張についてお話しします。

 

結論から先にお伝えすると、私は以下の事柄で緊張していました。

服を買いに行くときや選ぶとき

髪を切りに行くときや切ってもらうとき

人のプレゼントを買うとき

これらのときは緊張していました。

 

服買いに行くのも嫌でしたし、選ぶのも嫌でした。服を選んでも試着するのが嫌だったり、試着してもレジに持って行って「こんなの選んだんだ」と思われそうな気がして嫌でした。

髪切りに行くときも、どこで切ってもらうか悩むのも嫌でしたし頼むのも嫌でした。切ってもらうときも不安で嫌でした。

プレゼントを買うときもお店に入るのが嫌だったり、服と同じで「こんなの選んだんだ」や「これプレゼント用にするの?笑」と思われてる気がしてレジに持って行くのも嫌でした。

 

ただ今は以前ほど嫌な気持ちで緊張したりしません。

 

人はそこまで自分のことを気にかけていないと、あるときから気づきました。

そのときからは髪型や服装も自分のしたいよう適当にしました。プレゼントも買うまで時間をかけることには変わりませんが、億劫な気持ちというのは無くなりました。

 

人は自分の思うほど自分のことなんて見ていません。

つまりどこでどんな服をどれだけ試着して買おうとどうでも良いのです。服を選ぶときは予算を決めて、欲しいもののイメージを固めて行きます。2000円以内で黒の大きめのTシャツが欲しいなと思って買いに行きます。

 

こうすると自分でさえ、自分で買うものなんて真剣に選びません。条件に当てはまる中で良いものを選びます。

 

また気にかけられていないので、髪なんてどこで切っても何も思われません。何て頼んでも一切問題ありません。頼んだからには上手くいくかは運です。運なので緊張しません。100円や200円の宝くじを引いても緊張しないのと同じです。

 

プレゼントの買い物も緊張しなくなりました。

理由は2つ程あって

1つは誰も見てないということ

2つめは誰宛かにもよるということ

の2つでございます。

 

前者は例の通りで、後者はプレゼントをあげる相手のことです。

明らかに彼女宛のものだったら恥ずかしくも思うのです。ただ彼女宛にプレゼントをあげる機会がないので、恥ずかしく思うこと自体なくなりました。

関係性は多岐に渡るので誕生日のプレゼントが無しでいい人から、焼肉屋さんで満足する人やそれなりのものをあげたい人までいます。つまり何を買ってもプレゼントになり得ます。何を買ってもいいという安全バーが緊張を打ち消します。

 

なぜ緊張がなくなったのか、私にもわかりません。私自身は大して変わっていません。自信を持って成長したといえるのは年齢でしょうか。

歳を重ねたからこそ恥ずかしさがなくなり緊張がなくなったのかもしれません。

そういえばこの前も道路工事していた方がゴーグルをかけていました。今では「(ゴーグル)かけないと粉塵が危ないよな」と思います。しかし中学生や高校生の理科の実験では渋っていた気がします。

そんなことと近いしいことのような気がします。

 

今日はこんなところで終わります。

ありがとうございました。

時間

こんばんは!

名乗るのが面倒になってきたので、挨拶ノータイムでスタートのスタイルに変えたいなと思います。ここまできたら知らない人が見るようなブログでも無いような気がするのでお許しください。

ノータイムでと言いましたが、今回の話は時間についてです。

 

さあいきましょう!

 

今から1秒待ってください。 

 

 

 

経ちましたか?

では次は2秒

 

 

 

 

 

 

 

 

 

経ちましたか?

 

では次は3秒

 

1

 

 

2

 

 

3

 

経ちましたか?

 

実は2秒のときと3秒のとき、行間が同じです。

きっと皆さんは無理やり2秒と3秒を上手いこと経過させたはずです。

なぜでしょう。

 

時間という曖昧な概念に私たちは縛られています。

今から1秒後どうなっているか、想像できますか?

私はできます。きっとブログを書いています。

はい。書いていました。

三行前では未来のことでも、一行前では過去のことになっています。

 

未来のことは確かではありません。

 

未来といっても、捉え方によってたくさんあります。

捉え方で違えば、それは断定することができず曖昧なものの他ありません。

 

こう曖昧だから、2秒も3秒も同じ長さなのに合わせることができます。

 

ただ曖昧だからこそ、時間に縁取りすることへ価値が生まれます。

 

待ち合わせを守る人は信用されますし、期限を守る人も信用されます。

定期的に注文してくれる人には、割引という定期便もありますよね。

バスよりも確実な電車には遅延証明書の効果があったりします。バスが遅れましたなんて、本来言い訳にすらなりません。なぜならバスには時間の縁取りができないからです。

 

時間という曖昧な概念に線を引いて、その通りできることには価値があります。なぜなら曖昧で、その曖昧さを信じることがみんなできません。

だから未来が確定してる可能性が高いものには価値があります。

未来という点に現時点から線を引いて、未来までいく

これは簡単でないからです。

 

私の高校入試は推薦でパスしました。ただ推薦だと面接と作文を書かねばなりません。

作文は設計図の中を元々作っていて、そのときのテーマに合わせ材料を選ぶだけの簡単な作業です。ただ面接はその場や人によって、何もかも変わります。

私は志望理由に価値を感じていたので、それを直前まで確認しておりました。

残念ながら面接では志望理由を確認されることなく、1番最初の質問は「あなたが中学校生活で、1番大切にしていたことはなんですか?」でした。

私は予想と反する質問に加え、意識したことのない内容であったがために「少し考えてもいいですか?」と返答いたしました。了承を得たので黙って考えてみるのです。

 

「そんなんなくね?」

心の中ではこれしか思い浮かびませんでした。

 

意外と適当なことが言えるもので、待たせたことにお詫びとお礼をして

「時間を守ることです」と話しました。

 

詳細は

・時間を守ることは至極当然である

・ただ当たり前だからこそ、やらねばならない

・時間を守る人間は信頼される

・私は人から信頼されたい

・だから当然のことではもちろんあるが、時間を守ることには気をつけていた

 

と話しました。

きっと私の中で、根底にあった概念でした。

今でも大して意見が変わっておりません。

 

今回は眠くなったのでここら辺で終わりにします。

ありがとうございました!

目上目下

こんばんは!のぶまさと申します!

今日はウエイトトレーニングをしたので身体に倦怠感があります(笑)ウエイト=体育会のようなイメージがあるのは私だけでしょうか。ウエイトとは話が逸れ、体育会から話を繋げていきます。私は体育会系の人間なので、ある程度上下関係が存在いたします。目上の人は監督を始めとした指導陣であったり、目下というと少々違和感を抱きますが後輩もいます。

 

本日はそんな上下関係について、お話ししたいと思います。

 

私は何となく年齢が下だからといって、大きい態度を取るのに違和感があります。お話した記憶もありますが、年齢には価値がありません。

誰にでも対等なスピードで積み重ねるのが年齢です。そのタイミングが早かったか、遅かったか、ただそれだけの話です。

例えば15歳だから見下していい、80歳だから敬わないといけない

私はそんなことは一切感じ得ておりません。

 

その人であることに価値があります。

その人自身に価値があれば、年齢はただの飾りでしかありません。飾り自体に価値を見出すのは、ナンセンスだなと思います。

 

雑多な言い方で誤解を招くことを覚悟して、次に書きます。私はその人であることに価値がないから、年齢に価値を見出すのだと考えています。

年齢で人のことを大別する人間は、自分自身に価値がないことを公言しているように見えます。

 

ただ相関関係があるのは事実です。

若ければ未熟であることが多く、年を重ねれば聡明であることが多いのは間違いありません。

 

それは機会の数が、時間を重ねることで増えるから相関関係ができます。

機会というのは成長する機会のことです。

時間があればあるほど、機会に恵まれる可能性高いのは明らかです。

 

ただ機会の数も人の価値を左右します。

 

機会の数が多いのにも関わらず、価値を見出せない人

機会の数が少ないのにも関わらず、素敵な人

 

簡単に言うなら

いい歳をされてるのに行動や発言のレベルが低い人

若いのに、行動や発言が丁寧で素敵な人

 

前者にはより一層価値が無いように感じます。

後者はより一層魅力的に見えることでしょう。

 

年齢によって人を判断する人には価値を感じないという話に逸れましたが、本題へ戻します。

 

後輩や年齢が下で世間でいう私が目上になる場合でも、本当に素敵な人がいます。

素敵な人は話し方や聞き方これらがツボをついていたり、相手に配慮していたり、丁寧だったりします。

そんな人には自然と敬意を払います。

 

そこに私にとって一切上下関係は存在しません。私が勉強させてもらうことがとても多いです。むしろ私が謙っても全くおかしくありません。

 

監督を始めとした指導陣や恩師(以下恩師で統一)は、私よりも歳上です。尊敬していますし、憧れでもあります。ただそうなった理由には、関係が上だからというものはありません。

 

私は恩師の歳が上だから、立場が上だから敬ってる訳ではありません。

行動や考え方にとても魅力を感じ、自分が一層未熟で努力せねばと思うからこそ尊敬しています。

 

上下関係だからというわけではありません。

 

つまり立場が上でも下でも、魅力に満ち溢れてる人がたくさんいるのを知っているから上下関係に違和感があります。

特に目下というところが違和感でしかありません。

 

私は私が素敵だと思う人が、目上の方だと思っています。

歳が上だろうと下だろうと敬意を払います。

後輩でもしっかりしてる人間はいます。そんな後輩は自然と信頼できます。

 

私の中では上下関係というのが破綻していて、上下関係がある場所に違和感があります。

 

私と同じように考えるひととお話ししてみたいなと思います。

 

今日はそんな話で終わりです。

ありがとうございました。

 

 

そういえば

こんばんは!

名前を変えました。

というより本名にしました。

 

そういえば匿名でやる必要もないなと思い、本名へ変更いたしました。

 

私、のぶまさと申します。

漢字は読みにくいのでやめました。

 

これからは、ご挨拶に付けてのぶまさにしよつと思います。

 

どうぞご周知ください。

 

書きたいもの

おはようございます!のぶしんです!

ブログへ熱量があるので、何か書こうかなと考えていました。

 

書こうかなと考えていたら、何を書きたいのだろうとふと思いました。元を正せば書きのスキルを上げて、伝える力を伸ばすために始めました。中身については周知の通りで、あれもこれも書いています。

 

結論を申し上げますと、好きなものが書きたいんだなと思います。

 

と思うと好きなものはなんだろうなとなります。好きなものについて書いた記憶もありますね。そういった思いがあって書いたんだと今では思います。

 

自分がどう思ってるかわからないとき、書いていくにつれ考えがまとまることがあります。

そこから考えると、私にとって必要なものも書きたいように思います。

 

必要なものはどんなもので、どのくらい必要で、いつまでに必要なのか、どれだけ手に入れるのが難しいのか。

書いていくとわかるような気がします。

 

好きなものというと私の中では漠然としていて、いの一番に思いつきません。これは今の私の場合で、これまではすぐ思いつくこともあったはずですし、これからも好きなものができるはずです。

ただ今の私には好きなものが、強くないような気がします。

 

一方で必要なものも、同じように漠然としています。

好きなものと違うのは、漠然としていながらいくつも思いつくところです。

たくさんあります。

 

必要なものは思いつくものの、それの詳細についてはよくわかってないような気もします。

 

これからは必要だなと思うものについて、書きたいと思います。

自分のためですが、考えをまとめるためにお付き合いください。

 

今回はここら辺で、終わりにします。

ありがとうございました。

一期一会

おはようございます。のぶしんです。

こんな記事を書いたか書いてないか、疑わしいですね。

疑わしいですが、書きたい衝動に駆られたので書きます。

 

一期一会について、私は小学校の全校朝礼なるもので校長先生がお話ししていた記憶があります。

 

それまでは一期一会という言葉自体も知らなかったです。そのときも漢字を思い浮かべることができませんでした。

そんなことまで覚えてます。

今回は校長先生からお聞きした話ではなく、私の思う一期一会の話をしたいと思います。

 

 

皆さんもご経験あると思います。ふと歩いていると目に入る美人。

私は一度もナンパをしたことがないですし、する予定もございません。そうすると美人とはそれっきりになるのは必然です。

ただ目に入って、保養して終わり。

 

ただ1つ間違いないのは、その人が目の端で捉えても美人だったことです。

 

ナンパすれば良いとお考えの人も一定数いるでしょう。私が考えるに、ナンパにはロマンがありません。

博打でしかありません。

 

博打を打つことも楽しいです。

 

博打には勝てると思って打つときと、勝ちたいと思って打つときがあります。

 

博打を打たれてる方には、その心情はつかみ切れません。

 

私は勝てると思ってる人には、逆に負けてほしいと思います。

勝ちたいという純粋な気持ちには、なんだか勝ってほしいと思います。

 

それが読み切れないと、どちらの人も同じように見えます。

 

だからナンパはダメなのです。ロマンがないとは、勝てると思って声かけてるように見えるということです。

 

その気持ちからナンパしません。

 

美人を見ても、見かけただけで終わります。

私にとって美人とは一期一会なのです。

ここで1番残念なのは、一期一会であるのが一方通行なことです。

 

以上を書く動機となった美人とはもうお別れをしました。

ありがとうございました。

意中の人

こんばんは、のぶしんです。

私の好きな人に自分のこと(好きな人のこと)を書いて欲しいと言われ書きます。

彼女が見たら消します。(恋人ではありません)

 

 

意中の人というと好きな人という意味だと思います。

しかし好きな人というと、誰もが友達として?異性として?

と感じてしまいがちです。

 

今回はここを掘り下げずに、好きな人のことを書きます。

 

まず気になるのは、どう好きな人なのかだと思います。

友達として好き

これは間違いありません。

女性として好き

これも間違いありません。

 

あれ?本当に好きな人じゃん!

まあ私も度々そう思います。

本当に好きじゃん!って

 

まあまあここらへんは置いておいて

どんな人なのかご紹介します。

 

 

まずは可愛い

 

どこまでその人のことを話しても、ここに行き着きます。

 

可愛いから好き

というのは余りにも安易で、私の中ではしっくりきません。

 

私の中では好きと可愛いは別のベクトルです。

 

ただその人に関して言えば

可愛いし好き

 

 

次にサバサバしてます。

サバサバ?よくいるよー

とお思いですよね?

 

いや凄いですよ?(笑)

 

LINEしてて普通なら返事返しそうなところを、既読で終わらせます。本人に聞いてみたら、「既読了解したじゃん」とのこと。

 

女の子特有のグループにも入りません。

入れないというよりは、わざわざ入らないという感じです。

女性は中々孤立するのが珍しくて、難しいと考えています。

 

私は自分が一人でいることも特に気にしませんが、女性であったら気にしてしまいがちだと思います。

そんなところありません。

 

自分と他人との境界が曖昧な人がたくさんいますが、彼女は境界がはっきりしてます。

 

だからサバサバしています。

自分の縁が濃くて、私はそういうところも好きです。

 

 

私のことを理解してくれます。

私の周りでは、私のことを理解したつもりの人間が蔓延っています。

基本私は嘘つかないので、私のことを嘘つき呼ばわりする人間は総じて勘違いしています。中学生になり知らない人間と同じ環境で生活し始めますよね。そのとき本当のことを言ってるのに信じない人間がいたことへ驚いた記憶があります。信じない人間に限って、私のことを決めつけてきます。

これは相手が中学生だからというわけではありません。

高校生になっても経験しましたし、もちろん大学生になっても経験しました。

 

大学生になっても驚いていたので、私自身が成長できていないのかもしれませんね(笑)

 

私の好きな人は、私のことを信じます。

だから隠してることが1つもありません。

1つもないということも信じます。

 

なんで信じてくれるのかわかりませんが、信じてくれます。

 

大学生になって、信じてくれることに大きな価値があると心から思います。

 

だから好きです。

信じてくれるから信じるというのは、幼稚で私は本当に嫌な人間です。

それでも私は信じてくれるから信じます。

 

大きくはお話しした

・可愛いこと

・自分という縁取りがはっきりしてること

・私のことを信じること

私の知る好きな人です。

 

まだ細かくはありますが、容姿について細々と紹介するのは気が引けますし、私なんかが服装や髪型について意見する立場にありません。

 

最初にお伝えしたとおり、恋人ではありません。

それはそれでいいです。

友達以上恋人未満という関係でもありません。

友達です。

 

その子といると友達であることにも価値があるのかなとも思います。

 

私はこれからも関係が切れないといいなと思います。

見たら消します。

消すから見たら教えてよ

おけ?