のぶまさ

keep pushing

打ち勝つことのできない欲望

こんばんは、のぶしんです。

本日はブログ書かないのか?とお声を頂戴したので、書き連ねていきます。

 

いつもは時間のあるとき、本能のまま書いてます。本能の赴くまま書くと駄文や長文になります。ただ自分の気持ちには正直になれ、書いていけばいくほど、それこそ自分の知らない自分に出会えます。

直近の出来事へ本当は何を考え、何を感じ、何を求めているのかを知ることができたりします。

 

今回は本能に抗って、書いてみます。

 

打ち勝つことのできない欲望について

 

タイトルの欲望とは、一体なんでしょうか?

 

欲望自体は際限なく存在します。

存在自体も際限ない上に、その深さは底を見ることが叶いません。

 

私たちは欲望のほとんどを抑制して生きています。あるいは制限をしたり、ルールを厳格に守っています。

だからこそ欲望の奥底へ沈まずにいられます。

 

欲望を叶えることで満たされるよりも、沈む恐怖が勝ります。

 

恐怖を知らなかったり、知っていても想像力が乏しければ欲望が勝ります。

子どもがいい例です。

欲望に正直です。

 

子どものまま大人になれば軽蔑されます。

これは大人でなくても、成長過程で嫌でも体験します。子どもは大人になるのに必死です。なぜなら子どもままではいられないから。

 

1つだけ大人になっても抑えることのできない欲望があります。

 

それは自分です。

 

は?

何言っとるんや?

 

とお思いですよね。

しかし、そう思ってしまうことこそ自分という欲望に勝てないのです。

 

自分というアイデンティティの否定されることには、敏感に反応します。

これは大人であっても子どもであっても同じです。

 

自分自身のアイデンティティを保持する欲望には打ち勝つことができません。

 

つまりどういうことか。

 

できること、やりたいこと

これは必ずしも一致するとは限りません。

 

これは将来の職業でもそうですし、現時点での行動でもそうです。

朝あなたができることはいくつありますか?

やりたいことはいくつあるでしょう?

これら2つはイコールでないはずです。

 

きっとやりたいことの数の方が多い

 

やりたいことの中で、取捨選択しています。

これは仕方がありません。

 

ただやりたいことの中でも、やらなくていいことが数多く存在します。

この多くが欲望です。

やらなくていいことをやってしまうのは、おかしいことではありません。

当然です。

ただ"やりたいからやる"

普通のことです。

 

私がお伝えしたいのは、

やらなくていいという否定されてるのにも関わらず

やりたい気持ちが勝ち

やってしまう

私たちはそういうもので、自分が形成されています。

 

自分を形成してるものを一概に自分と表すのは、いささかナンセンスな気もします。

しかし自分(一部が)であることには変わりません。

 

自分が自分であるという欲望に、打ち勝つことはできません。

できないからこそ、打ち勝てなくて悩みます。

 

私もそうです。

仕事しなきゃいけない、けど漫画を読みたい。

あれ?ただの怠慢じゃ、、、?

 

それでは今回はこの辺で

長風呂

こんばんは、のぶしんです。

ブログを続けるためにフランクな記事を増やそうかなと思ってます。

 

ところで皆さん、

お風呂、、、、入りますよね?

 

私は今入っています。

 

お風呂は10〜15minくらい入るのが一般的だと思います(かなり勝手な推測)

 

タイトル通り、私は長風呂派です。

タイトルを回収したところで、長風呂とはどこからなのでしょうか。

 

20?

30?

40?

 

ちなみに私は1時間くらい入ります。

ぼちぼち、このくらい入れば長風呂といっても差し支えないのではと思います

 

ここでは健康効果がなんたらという話はしません。

ただ好みの話です。

長風呂が好きなのです。

 

幸か不幸か女性ではないのですが、お風呂が好きです。という人間ではありません。

風呂は面倒だなと思います。

 

入ってしまえば長く入ります。

ただそれだけの話

 

風呂は面倒だけど、長風呂は好き

なんだか矛盾してるような気がしますね。

 

実はこんな矛盾がよくあります。

きっと皆さんもご経験されてきたはずです。

 

付き合うのは面倒だけど、セックスは好き

練習は面倒だけど、試合は好き

 

こんな類です。

 

そんなのとは違うだろ

とのお声が聞こえますが、仰る通りです。

厳密には違うのは総じてその通りです。

 

そのお声を出す方は、きっとご経験されてきたんだと思います。それよりご自身が今そうなのかもしれません。

異性を面倒に思う割には体を求めたり

結果を求める割には努力を惜しんだり

 

なんだか同じようなことに感じる方は、ご経験され終わった方

あるいは傍観者だった

かと思います。

 

実際にはお風呂へ入ることに変わりがないんですよね。

 

練習も試合も、もしサッカーだとしたら

サッカーなのは変わりませんし

 

付き合うのもセックスも、本来は延長線上にしかありません

 

片方が本来の意味から逸脱してるから、こう矛盾が起きます。

 

今回はただそれだけの話です。

ありがとうございました。

 

 

 

 

ちょうかつ

こんにちは、のぶしんです。

ちょうかつと聞くと、最近では腸活が話題ですね。

 

今回は腸活について、科学的根拠を示さずにだらだら書き連ねます。

 

最初に諸注意だけ

*科学的根拠を示しません(面倒だからというのは内緒の話)

*私は責任を負えません

*私には効果がありましたが、個人差はもちろんあります

 

では始めます。

 

皆さまは腸活されてますか?

しているという方もいれば、していないという方から腸活とはなんぞや?という方もいらっしゃるでしょう。

 

簡単に腸活について定義したいと思います。

腸内フローラを整えて、健康に保つことと漠然と定義いたします。

 

腸内フローラとはなんぞや?という方へ

詳しくはグーグルさんにお聞きした方が良いと思います。しかし、ブログを覗いてくださってるので、これも簡単にご説明します。

 

腸には多くの常在菌がいます。よく聞くのは善玉菌や乳酸菌でしょうか。対象に悪玉菌というのもよく聞きます。

善玉菌という大きなくくりの中に乳酸菌があります。

ちなみに虫歯菌も悪玉菌の一種です。

 

イメージしていただくと分かりやすいと思います。善玉菌が身体に良くて、悪玉菌が身体に悪い、その程度の理解で問題ありません。

 

いわゆる腸活というのは、善玉菌など身体に良い菌を増やし、悪玉菌を総体的、絶対的に減らす活動のことです。

 

結論から言うと、腸活はした方がいいです。

 

腸活は色んな悩みを解決することができます。

 

・便秘

・軟便

・おなら

これら腸の悩みはもちろん

 

エネルギーの吸収率が上がります。食が細い人には朗報です。

筋トレしてたら、筋合成も高まります。

免疫力も上がります。

乳糖不耐症で好きなのに乳製品避けてる方も、リスクを下げて食べることができます。

 

そんなにメリットある腸活って何すればいいんだ!って話ですよね。

ググってください。

と言えば簡単ですが、ここでは私がしてる腸活についてご紹介します。

 

オリゴ糖

・整腸剤

・牛乳を飲まない

 

三日坊主なので簡単なことしかしていません。

マニアックになり、金銭的余裕があればもう少しやることもあります。

一つずつご説明します。

 

オリゴ糖の中でも、ラクオリゴ糖を1日3回ティースプーン2〜3杯舐めてます。

本当は大豆由来のオリゴ糖が手軽に手に入ればいいのですが、乳製品からできるラクオリゴ糖を舐めてます。

オリゴ糖はたしか消化されません。腸内細菌の栄養になります。オリゴ糖を養分にし、細菌が数を増やすことで腸内フローラを整えます。

ただラクオリゴ糖は、乳糖不耐症の方は注意する必要があります。少量から始めて、自分に合う量を見つけたら良いのかなと思います。

 

整腸剤について、私は強力わかもとを飲んでます。

整腸剤は続けて飲んでみて、身体に合うものを選べばいいと思います。

大体一つのものを買って使い切るまで、飲み続けます。次に違う種類の整腸剤を買って使い切るまで飲み続けます。こうしていくつか飲み比べて、最終的に身体に合うものを飲み続けるのがいいと思います。途中で合わないと思ったら捨てて、新しく変えてもいいです。

また、整腸剤は物によってコンセプトが違います。コンセプトに合わせるのもいいと思います。

整腸剤を飲むことで、過食したときなどに消化や吸収を助けます。

無理な食事で腸は荒れます。整腸剤は多少の無理も聞くようになります。

 

筋トレをしていると内臓の機能が落ちます。消化不良になって、筋肉が付きにくくなるのは勿体ないです。

整腸剤や消化酵素プロテインと一緒に取れれば、リスクが減ります。

 

最後に牛乳を飲まないことについてお話しします。

日本人は基本的に乳糖不耐症です。

乳糖不耐症というのは、乳製品に含まれる乳糖を分解する消化酵素を体内に持たないことです。

消化酵素を持たなければ、基本的に消化することはできません。

なので牛乳を飲むとお腹を下す人がいます。身体に合ってないので飲まない方がいいです。

 

給食に牛乳が出てるじゃんか!という方もいますよね?

あれは栄養バランスを整えるために牛乳を採用していると推測しています。栄養素の数字は、計算して一定水準を超えなければいけません。そのためカルシウムやタンパク質が豊富な牛乳が給食に出ます。

身体に良いからというわけではなく、ただ表面上のためです。

無理して牛乳を飲む必要はありません。身体に合う合わないはあります。

 

私は牛乳を飲まなくなってから、腸の悩みは激減しました。

栄養素をそのまま見て、無理して飲んでいたのが原因でした。

 

腸活について、まだお話はできますが一旦終わりにします。

ありがとうございました。

 

手帳使い始めたんですよね

こんばんは

のぶしんです。

 

私は手帳付けるのが苦手で、いくら買っても買っても使わずに捨てていました。

今年こそと思い、3月ごろ購入しました。

 

今回は手帳についてダラダラ連ねていきます。

 

 

まず、お伝えしたいのは6月に入っても未だに手帳を使っております。

手帳を続けられている理由について、大きく3つ挙げます。

 

一つめはバイトを新しくしたからです。前は時間が固定のバイトだったため、仕事する日付だけ把握していれば済んでいました。新しくして、時間と日付を把握しなければならなくなりました。

スマホで予定を細かい時間の管理するのが得意ではなくて、そこで手帳が重宝しました。

 

二つめに部活での仕事ができたからです。先日、副将を拝命しました。責任を持って仕事をするために、手帳を持ち歩きメモする必要がありました。

まず頭で覚えていても、確信を持って意見を出さなければいけません。確信を持たずに意見できるような立場ではなくなってしまいました。手帳をつけ度々確認することで、情報の確実性が増します。そのため、私の言葉には説得力が増します。

 

最後三つめは、とにかく手帳が使いやすいからです。私はドラえもんのキャラクター手帳を使っています。

シールがついてるという安易な動機で買いましたが、シールも使い勝手が良いです。メモも取り外せるものと取り外せないとのがあります。取り外せるメモはミシン目で綺麗に切り離すことができ、人に渡すとき便利でした。

 

ただ、使いこなすようになってからは、キャラクター手帳だと困ることがありました。

これも3つご紹介します。

 

一つめは書ける情報が少ないことです。

メモのページは10程度しかありません。加えて月ごとにメモページが見開きで用意されていますが、すぐいっぱいになります。

メモページは3ページほどしか空いていません。7/10は使っています。あれ?まだ6月なのにもうなくなっちゃうよ、、、という気持ちです。

1日の予定の欄もよく見る正方形です。情報が多く、1日の枠を超えてしまうことも多いです。

 

二つめは可愛すぎて恥ずかしいことです(笑)

手軽なものの方が取っ付きやすいかと思い、ドラえもんにしました。スヌーピーと悩んでいたので、どちらにせよ可愛いものを選びました。

重宝するうちに、大人の方がいる場でも手帳が必要になりました。目上の方の前で、ドラえもんは少し使い難い気持ちもあります。

 

三つめに小さくて存在感のないことです。

小さいことにも利点はたくさんあります。軽量であったり、携帯性の高さだったり、ページ折れしづらかったりetc...しかし小さいと見つけにくかったり、忘れてしまったり、最悪失くしてしまいます。

手帳には、バイト、部活、学校、プライベートの全てが詰まっています。今手帳無くしてしまったら絶望します(笑)

もう光ってほしいくらい失くすことができません。

そう考えてくると、小さく存在感がないのは逆に困ります。

 

手帳の良さを分かるようになり、つけて正解だったなと思います。

ただ今の手帳対して手狭に感じているのは間違いありません。

また愛着もあるので、今年いっぱいは使いたいなとは思います。次手帳を変えるときは、ドラえもんの経験を生かして購入しようと思います。

 

スマホで予定をつける人もいます。

それはそれで良いと思います。スマホは基本携帯するので忘れませんし、データで共有もできます。

手帳嫌いだったり、苦手な人には、簡単なものから始めてみるといいのかなと思います。

本当に必需品です。

 

今回はドラえもん手帳の愛を捧げました。

ありがとうございました。

ご無沙汰してしまい、申し訳ございません。

お久しぶりです。のぶしんです。

日付が空いてしまった訳だとかは、色々あります。

何を言っても言い訳がましくなってしまうので、何もなしで通したいなと思います。

 

 

今回は責任を持つことについて、ざっと簡単にお話しします。

責任とは、なんでしょうか。

皆様はどのようにお考えでしょうか。

 

私は責任に対して2つの面があると思います。

1つは、物事に対して賭けるもの

2つは、身に付けるもの

この2つの面が存在すると思っています。

 

物事に対して賭けるものについて

まず、この言い回しがおかしいかもしれません。私は、"責任を取る"ここから賭けるものと表しました。

私たちは、責任を取るとき何か代償を払わないといけません。

 

例えば

お金であったり、地位であったり、はたまた権利であったり

それは多岐に渡ります。

 

2つの面、身に付けるものについて

大人になれば犯罪に対して厳しくなります。これは大人であれば当然、皆そうです。

社長になれば、会社の不手際は基本社長のせいになります。会社全体でなく、各々の仕事のミスで上司が悪くなるのは当然です。

なぜなら、責任は身に付けるものだからです。

正確には、肩書きにくっついてくるものです。

 

肩書きは、大人という区分から

社長や上司(部長など役員など)という役職を持つことまでです。

 

身についてしまった責任は、賭けなければいけなくなります。

 

大人になってしまったら、中々悪いことはできません。

子供の頃は許されたこともたくさんあったでしょう。今となっては、許してもらえないことがほとんどのはずです。

なぜなら大人だから。

大人という責任に囚われてしまいます。

 

こう考えてくると責任を持つこと自体は、デメリットしかありません。

反面、責任を持つことで付属するものには価値のあるものばかりです。

 

最近は責任を持つことが増えました。とても億劫です()

また手隙になりましたら、適当に記事を書きます。

居心地

こんにちは、のぶしんです。

友達といると居心地いいですよね。

 

一瞬の間に時間が経って、自分を取り繕う必要がないのは本当に価値を感じます。

 

今回は居心地の話をします。

 

まずこの話をする経緯についてお話しします。

 

友達と思える人がほとんどいない空間があります。そこでの話です。

みなさんも一回はご経験あるのではないでしょうか。

 

例えば初めて行く場所です。

場所というと行き慣れたところには、自分なりの過ごし方があります。

他人の家1つとってもそうです。

友人の家と恩師の家では、よそよそしさが大きく変わると思います。

 

恩師ではまだ良い方ですね。

友人の友人の家の方が私は嫌かなと思います。

 

友人というのはノリが合います。

話の感じも相手に合わせなくても盛り上がりますし、相手もこちらに合わせる必要がありません。

 

友人でなければ気を使う必要があります。

当たり障りのない話をして、相手に合わせて話さなければなりません。

どうにも居心地は良くなりません。

 

私にはいつまで経っても、ノリの合わない空間があります。

 

かなり苦痛です。

 

周りが笑っていても、私は面白くないことが多いです。

面白くないことには笑えません。

 

結果笑いません。

 

仕方ないのです。つまらないのですから。

 

ただ、こう居心地が悪いからといって、無下に拒否するのではレベルが低いとも感じます。

 

フィーリングの合わない人間とは時間が経っても中々合わないみたいです。

これは私だけかもしれませんが、一年経っても何も変わりません。

 

つまらない

 

この一言につきます。

 

つまらない空間で過ごす能力は高まりました。

 

これは感謝しなければなりません。

つまらないことからは逃げたいですし、避けたいです。

避けれることはできなかったので、成長することができました。

 

加えて、友人と過ごす時間には大きな価値を感じるようになりました。

 

居心地の好き嫌いをしないことも大切であると思います。

 

今日はこんなところで終わります。

ありがとうございました。

型破りに必要なもの

こんにちは!のぶしんです。

記事とは全然関係ないのですが、最近は美人によく遭遇します。

 

遭遇といっても全部含めてです。

友人から知人、通りすがりの人まで

最近は美人をよく見ます。

 

前提として美人が好きなのは言わずもがなですが、ここまで気になることも少ないです。

美人を見かけたときにいつも思うことがあります。臭くないかな?です。体臭を気にかけてしまいます。

他にも服装だとか、元を正せば顔だとかもあります。それらを置いておいてまず体臭が大丈夫かなと。スポーツをしていると、汗とは密接な関係になってしまいます。

 

脱線しすぎそうなので、次の機会にまた"匂い"の話をしましょう。

 

今回は型破りに必要なものを紹介します。

 

まず型破りについて、みなさんと共通認識にしたいと思います。

私は、普通を越えて、また違う良いものと捉えています。

若干抽象的ですが、今回はそんなものだと思ってお付き合いください。

 

型破りについて、みなさんは良いイメージですか?

それとも悪いイメージでしょうか。

 

私は何とも思っていません。

手段の1つだなとしか捉えていないので、手段として適切だったら良い、適切でないなら悪いと思っています。

 

手段の1つ?

と思いますよね。

 

お話しします。

 

タイトルの型破りに必要なものについて、説明します。

それは型です。

 

型破りは型がなければ破れません。

 

型破りには絶対的に型が必要なのです。

 

例えば、どんなものにもノウハウがあります。ここではノウハウを1つの型としましょう。

ノウハウも知らないままノウハウと違ったことするのは、ただ適当なことをしてるだけです。

 

自称型破りな人の中には、適当なことをするのが型破りだと勘違いしてる人もいます。

 

それは自分色なのではなく、ただ何でもありません。

 

型を作るのには手間がかかります。

時間やお金、努力も必要であったりします。

型ができないまま、あれこれやっては型ができません。

 

時間やお金を費やし、努力して手に入れた型はそれなりの力を発揮します。

 

ここでようやく型破りができます。

 

しかし、型破りには破るだけリスクがあります。加えてメリットもあります。

 

型よりも力を失うことがあります。

また、型通りの人と差別化が図れます。

 

型よりも力が大きくなることは?

と思います。

 

それもあり得ます。あり得ますが、それは型の下地に強く依存します。

 

型が形成されていればいるほど、それが土台になり型破りは成功しやすいと考えています。

 

なぜこんな話をするかというと、色々な競技者を見ていたり、授業での見聞なので思ったからです。

 

私自身も型ができる前に、あれこれ手をつけました。それはそれで結果に出ますが手応えはありませんでした。

今は型を作ることに必死です。

 

また、型破りをしたいとは思っていません。

差別化を図れるような器でもないなと、型を作る上で感じました。

 

今回は型破りには型がないと破れない、そんな当たり前の話でした。

 

ありがとうございました。