のぶまさ

keep pushing

時間

こんばんは!

名乗るのが面倒になってきたので、挨拶ノータイムでスタートのスタイルに変えたいなと思います。ここまできたら知らない人が見るようなブログでも無いような気がするのでお許しください。

ノータイムでと言いましたが、今回の話は時間についてです。

 

さあいきましょう!

 

今から1秒待ってください。 

 

 

 

経ちましたか?

では次は2秒

 

 

 

 

 

 

 

 

 

経ちましたか?

 

では次は3秒

 

1

 

 

2

 

 

3

 

経ちましたか?

 

実は2秒のときと3秒のとき、行間が同じです。

きっと皆さんは無理やり2秒と3秒を上手いこと経過させたはずです。

なぜでしょう。

 

時間という曖昧な概念に私たちは縛られています。

今から1秒後どうなっているか、想像できますか?

私はできます。きっとブログを書いています。

はい。書いていました。

三行前では未来のことでも、一行前では過去のことになっています。

 

未来のことは確かではありません。

 

未来といっても、捉え方によってたくさんあります。

捉え方で違えば、それは断定することができず曖昧なものの他ありません。

 

こう曖昧だから、2秒も3秒も同じ長さなのに合わせることができます。

 

ただ曖昧だからこそ、時間に縁取りすることへ価値が生まれます。

 

待ち合わせを守る人は信用されますし、期限を守る人も信用されます。

定期的に注文してくれる人には、割引という定期便もありますよね。

バスよりも確実な電車には遅延証明書の効果があったりします。バスが遅れましたなんて、本来言い訳にすらなりません。なぜならバスには時間の縁取りができないからです。

 

時間という曖昧な概念に線を引いて、その通りできることには価値があります。なぜなら曖昧で、その曖昧さを信じることがみんなできません。

だから未来が確定してる可能性が高いものには価値があります。

未来という点に現時点から線を引いて、未来までいく

これは簡単でないからです。

 

私の高校入試は推薦でパスしました。ただ推薦だと面接と作文を書かねばなりません。

作文は設計図の中を元々作っていて、そのときのテーマに合わせ材料を選ぶだけの簡単な作業です。ただ面接はその場や人によって、何もかも変わります。

私は志望理由に価値を感じていたので、それを直前まで確認しておりました。

残念ながら面接では志望理由を確認されることなく、1番最初の質問は「あなたが中学校生活で、1番大切にしていたことはなんですか?」でした。

私は予想と反する質問に加え、意識したことのない内容であったがために「少し考えてもいいですか?」と返答いたしました。了承を得たので黙って考えてみるのです。

 

「そんなんなくね?」

心の中ではこれしか思い浮かびませんでした。

 

意外と適当なことが言えるもので、待たせたことにお詫びとお礼をして

「時間を守ることです」と話しました。

 

詳細は

・時間を守ることは至極当然である

・ただ当たり前だからこそ、やらねばならない

・時間を守る人間は信頼される

・私は人から信頼されたい

・だから当然のことではもちろんあるが、時間を守ることには気をつけていた

 

と話しました。

きっと私の中で、根底にあった概念でした。

今でも大して意見が変わっておりません。

 

今回は眠くなったのでここら辺で終わりにします。

ありがとうございました!