のぶまさ

keep pushing

自分と他人の境界線

こんばんは、のぶしんです。

Yahoo!の記事を見て思うことがあったのでブログに書きます。

 

Yahoo!の記事を簡単に書くと、

最近の大学生が「何者になるか」というのを重要視されている

大学生は「何者になるか」の期待に応えるために正解を答えるようになった

正解は、命題に対して出題者の望む答えや出題者のウケがいい答えのこと

私が目に止まったのはまあこんなとこです。

記事のリンクが欲しい方いたら頑張って探すので、コメント下さい。

 

記事の中では

最近の大学生に対して感心している人

最近の大学生は人ごとのように意見を持っているという悲観的な人がいたそうです。

 

私自身は大学生です。その立場からというと、大学生を代表するみたいで気が引けますが、私の見解についてお話しします。

 

元々周りに流されるような人間ではありません。総体的に自分の意見を持って、自分の持つ尺度で物事を判断しています。

それが原因か、元来の性格ゆえか人とぶつかることは多かったです。

 

多かったというのは見ての通り過去形で、最近になってぶつかることは減りました。

 

生きやすくはなりました。しかし昔の自分へ今の自分を誇れるかというとなんとも言えません。

俺は俺、俺が正しい

そう思うのは強く傲慢です。

私は傲慢でした。今でも人から見れば傲慢かもしれません。

 

根本的にはあまり変化はないですが、表面的には変わりました。人に合わせるようになりましたし、人の意見にも耳を傾けるようになりました。

こういうと自己中に聞こえてしまいますね。

ここでいう人に合わせたり意見を聞くというのは、私が思うにダメなことへ対してです。

 

その人の言うことが正しいのかもしれない、

その人が正しい、

自分の意見は正しくない、

自分の意見を知られたくない、、、etc

 

最近ではこんな風に思ってしまうこともあります。

傲慢でなくなった弊害といいますか

自分自身が薄くなりました。

 

正否はともかく、自分は自分でしかありません。

私は私でしかないです。

 

自分の思うことが正しくも、正しくなくとも

それは私でしか思うことはできません。

 

それが人から見える正解を追い求めてしまうのは、真に正解なのでしょうか?

また正解は必要なのでしょうか?

 

私にはわかりません。

 

自分自身が薄くなるとどうなるか

私は、他人との境界線がなくなると思います。

 

例えば

まとめサイトにあるような服装をして

ネットで調べたように就活をして

当たり障りのないことを話すようになるとします。

趣味も人がやるようなものをして

恋人もlikeのような人と付き合ってみたり

 

これがダメだとは思いません。

それはそれで楽しいと思いますし、単に楽です。

 

自分が何者かを追い求めているのに

自分のやることは、自分を薄めるようなことばかりです。

 

何者かを追い求めると誰かにいきつきます。

それは今までいた誰かであったり、近くにいる誰かであったりします。

 

抽象的でわかりにくいかと思いますので具体的にいうと

皆同じ髪型をして、同じメイクをしている

そう見えてしまうオジサンいますよね?

オジサンにとっては同じに見えてしまう子達は他人です。

しかし、同じように見られてる子を取り上げると自分と他人になります。

自分と他人が同じように見えるのです。

 

オジサン主観

A(あつこ)

A(みなみ)

A(ゆうこ)

 

あつこ主観

みなみ

ゆうこ

 

ということです。

わかりにくかったら申し訳ないことです。

 

自分にとっては他人でも、人から見たら同じ人に見えます。

 

何が自分で、何が他人かわからなくなります。

 

何故こんなことが起きるのか。

 

人からのウケを良くしようと思えば、ある程度はそれに比例してなります。

みんな人に嫌われたくないのです。

 

人に良く思われたい

嫌われたくない

認められたい

そんな承認欲求から、みんな同じことをします。

 

ベクトルが同じだと、着地点は近しくなります。

 

色んなひとがいます。

 

自分の縁をはっきりさせる人もいれば

はっきりさせたいけど薄くなってしまった人

薄いのを隠す人

薄くしたい人

他人になりたい人

 

私は自分の尺度で物事を判断することに大きな価値があると思っています。

今の自分がそうできているか、自信がありません。

だから昔の自分に誇れません。

傲慢であったからこそ、誇れました。

 

今は傲慢でないことが評価されたり、評価されなかったり

どちらが良いかわかりません。

 

正解を人に聞いても、それが正解か教えてくれる人はいません。いても正解が正解かわかりません。

 

傲慢でなくとも昔の自分へ誇れる自分になりたいです。

 

今回はそんな話で終わりです。

 

また今度お付き合いください。